えせエッセイその7


<素朴な疑問>
テレビのCMを見ていたらふと疑問がわきました。
車のガラス用のワックス『ガラコ』
ガラコォー!!
と叫ぶ。なぜか金髪の女性が出てくる割と昔からやってるCM。
そこで疑問。ガラコという名前はガラスから来ているのはわかるのですが
ガラスの正式なスペルはglassでホントはグラスと読みます。
ガラコも英語で書いてあるのですがそのスペルはglaco(glacoかもしれません)
どう読んでもグラコじゃねぇかっ!
変に英語にしないでgalakoでいいじゃない?とか思う。ガラスという読み方自体が
間違いなんだからさ。

同じようにディスカウントストアのビックカメラもちょっとおかしい。
てっきりビッグだと思ってたけどBICって書いてあるんだよね。
BIGという言葉はあるけどBICという言葉はないので
ビックカメラさん?あなたの「ビック」(BIC)って何ですか?
2000年10月21日の日記より


<このサイトの2年間をふり返ってみよう>
2年間って言っても最初の1年間のアクセス数は100という超ヘタレさかげん。
どこのサーチエンジンにも登録しなかったし、知人にしかアドレスを教えなかったので
当然の結果と言えるけど。
アクセスを増やそうという努力もしなかったし。内容も影牢しかなくてヘボかったし。
見るべきところは少なかった。(今の影牢ページも変わらずヘボイが)
更新も滅多にしなかった。

去年の11月に俺屍ページをジオに開設して俺屍辞書を作成。そのまま放置。
さらに本家(シャドウルーム)に日記を設置、毎日更新の日々が始まる。
今年の4月頃気の迷いで俺屍ページをYahooに推薦。なぜか登録されて
俺屍ページのみヒット数激増。なぜか少し悔しい。
同時期本家(シャドウルーム)にタイピングソフトレビューを付けてみる。
6月にプロバイダーを乗り換え。ホームページも移転する。CGIに突然こりだし、
7月頃さらにホームページを移転。俺屍ページに追いつけ追い越せとばかり
本家もサーチエンジンとかに登録しまくり。でも効果はほとんど得られず。
本家をYahooへ登録依頼を出すもかなわず。ヒット数が少ないままで現在に至る。
別にヒット数が多くなくたっていいんだけどね。
ちゃんと見てくれる人が1人でもいれば…

(↑負け犬の遠吠えっぽい)
2000年10月18日の日記より


<ゲームの改造>
ここで言う改造とは、ゲーム機本体の改造ではなくてゲームのデータの改造です。
改造を行うと、RPGだったら序盤から最高レベルにしたり、全てのアイテムを
使えたりします。

やり方は特に説明しませんが、PAR(ProActionReplay)に代表される
改造用の機器を使うと簡単に行えます。

それが良いか悪いかなんてことは私は言いません。
別に法に違反しているわけではないですし、自分の買ったゲームを
どう扱おうとも個人の自由だからです。改造の禁止を強制する気もありません。

ただこれだけは言いたいのは、
「クリアしていないゲームをいきなり改造して何が面白いの?」
ということ。
ゲームというのは制作者が意図した難易度やバランスで成り立っています。
それを破綻させる改造は楽しさを損なうだけです。
改造すると一時は楽しいかもしれませんが、確実にそのゲームの寿命を縮め
そこには改造しなかったら味わえたはずの楽しさはありません。
これは、制作者とユーザーの双方が不幸だと言わざるを得ません。

ゲームは娯楽の一種であり、基本的には楽しむためにあるはずです。
いきなり改造をすることで、みすみすその楽しさを逃しているのをもったいないと
感じるのです。

改造自体は悪くありません。使い方次第ではよりゲームを楽しむことができます。
腕の問題でいくら練習してもクリアできない面があったとしたら
そのゲームをクリアしないでやめてしまうより、改造して先の方を見たり
一通りやりつくしたゲームを改造して楽しむのは、有効な改造の活用法だと
思います。

しかし、複数のプレイヤー同士が通信する対戦ゲームだと話は変わります。
通信RPGで改造して最高レベルまで上げて友達に勝つなんてことは、
不毛と言うほかありません。そんなことして勝ってうれしいかと問いたい。
それに、他人の努力を土足で踏みにじるようなマネは許せません。
1人用のゲームをいくら改造しようとも本人の勝手ですが、他人に被害を
及ぼすことは、改造をしてしまうような人はそのゲームに対する愛が足りない
のだと思います。

どんなものも使い方次第。使う人によって良くもなれば悪くもなる。
もっとゲームを楽しんで欲しいだけなのです。

私はまったく改造をしませんし、したいとも思いません。
なぜなら、好きなゲームをより長く楽しみたいから……

うーんちょっと説教くさいな。かっこつけすぎだし。ま、たまにはいーかな、こういうのも。
2000年10月17日の日記より


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